小島直喜氏は、「焼き物は土が命」と自ら野山に土を釉薬を求め、先人たちの古陶陶片から伝統的な陶技を研究し、昔の技術と景色、土味、手触り、色、映りを再現すべく 作陶に励んでいます。
*登り窯と窯焚き風景
1962年生まれ。 二代目小島直喜は初代 父喜昭と共に、12〜13才の頃から粘土、陶片を求めて古窯周辺の野を歩き、昭和55年に鏡山麓の恵日寺境内に曹源窯を開く。 平成10年浜玉町に窯を移す。 以後各地で個展。
唐津焼の起源は諸説ありますが、室町時代末から桃山時代にかけて、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとされています。その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に、朝鮮陶工を連れて帰り、その陶工たちが各地で窯場をつくり焼き始めたことで、唐津焼の生産量は拡大していきます。 登り窯や、蹴ロクロ、釉薬法など、朝鮮渡来の技術の導入によって作風や種類も豊かになり、全国に流通したことで唐津焼は日本を代表する焼物となり、西日本では焼物のことを「からつもの」と呼ぶほどまでに有名になりました。 また、古くから茶の世界では、「一井戸、二萩、三唐津」という茶碗の格付けがあるように、茶の湯の名品として多くの茶人に愛され、江戸時代には唐津藩の御用窯として発展しました。
・絵唐津 素地に鬼板と呼ばれる鉄絵具で文様を描き、長石釉や土灰釉などの透明の釉薬を上から薄くかけて焼いたものを指します。草、木、花、鳥、人物や線文・幾何学文など、陶工の生活の身近にあるものが指や筆で描かれており、素朴ながら繊細で力強い表情を生み出しています。
・朝鮮唐津 鉄分の多い鉄釉と藁灰釉を上下・左右にかけ分けて焼いたものを指します。鉄釉の黒と藁灰釉の白の美しいコントラスト、境界に生まれる青や紫、黄色などの繊細な色や流れ落ちる多彩な表情が特徴的であり、表面に現れるその変化は自然の風景に見立てた「景色」を表現しています。
・斑唐津 藁灰などを混ぜた失透白濁する釉薬をかけたもので、粘土中の鉄分や窯を炊く燃料である松の灰が溶け出し、乳白色の表面に青や黒の斑点がぽつぽつと現れることからそう呼ばれています。
・三島唐津 器がまだ生乾きのうちに印花紋、線彫、雲鶴(うんかく)などの文様を施し、化粧土を塗った後、削りまたは拭き取り仕上げを行い、長石釉や木灰釉をかけて焼いたものを指します。象嵌(ぞうがん)の一種であり、唐津では江戸時代に生産が始まりました。
・粉引(こびき)唐津 褐色の粘土を使い、素地がまだ生乾きのうちに白色の化粧土を全面にかけて乾燥させた後、長石釉や木灰釉をかけて焼いたものを指します。白い粉が吹いているような風合いから、この名がついたと言われています。
・奥高麗(おくごうらい) 高麗茶碗の井戸、呉器、熊川風の造形の茶碗で、通常、無地である。和物茶碗として極めて評価が高いです。
*鏡山から見た虹の松原と唐津湾の風景
*湯飲み/急須
*ごはん茶碗/どんぶり
*マグカップ/コーヒーカップ
* 徳利/ぐいのみ/酒器
*小鉢/中鉢/大鉢
*小皿/中皿/大皿
*置物/壷/香炉
*ペンダント
【笠間焼】
*阿部誠
*穂高隆児
*猪本拓
*永井久美子
*夢現窯/尾崎高行
*森永篤史
*菅原良子
*館野文香
*須藤忠隆
【美濃焼】
*美濃焼/快山窯
*美濃焼/あかね陶房
*源九郎窯/加藤健
*佐藤和次
*玉山窯/玉置兼光
*美濃焼/白山窯/山田正和
【萩 焼】
*岡田窯/岡田裕
【備前焼】
*小山末廣
*大友久
*大友恵美子
*永末隆平
【唐津焼】
*曹源窯/小島直喜
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